Point0.Shibuya/Tokyo(詩の交差点)
絶え間なく行き交い続けるわたしとあなたとだれかの、その微かな共有空間はけれども確かな想像の一歩となってゆく。
十の詩人が織り成す巡り合わせのポエトリーリーディング企画。
ブルターニュ地方と言えばフランスの西を占める地域だが、そこにフィニステール(Finistère)と言う県がある。最後を意味するフィニ(fini)と大地を意味するテール(terre)を連想させるこの県は、その名前に似合った荒い海岸を持つ。その県の果てにブレストがある。軍港として有名な街だ。私はここに既に何度も足を運んでいる。
台湾の北部に位置する街「九份」
かつて金鉱で栄えたこの街の、過去に飛んでみる。
山麓から鉱山へと続く石段を、昇っては降りて。
初めに金を掘り出したのは、何という名の鉱員だったか。
やがて採掘量の降下とともに鉱山は閉山を迎え、
街には猫と子どもと老人と空き家だけが残った。
これは「九份」の山間に佇む、古風な茶坊の物語。
むかし、鉱長の屋敷であった、静かな茶坊の物語である。
JR京都駅の八条口から東にまっすぐ歩いていくと、団地やマンション、ホテルに囲まれた一帯が現れる。京都駅近辺の喧噪とは無縁なままに、【Sol.】(ソル)は東九条の一角で店を構えている。
エメラルド色のカリブ海に浮かぶ島、ドミニカ共和国。
伝統音楽のメレンゲやバチャータが流れると、踊り出さずにはいられない陽気な国民。
日本から1万3000km離れたこの国で、リサイクルアート雑貨を作り続ける夫婦がいる。
街道から歩いてたった三分。
天然記念物指定のシダ群落をかくしている伊尾木洞。
そこには、手でふれることのできる、静かな絶景がまちうけていました。
不器用だけど誠実で、作っているものにブレがない、そんな人が好き――そう話してくれたのは、西東京の中心都市・立川にあるパン屋【シンボパン】店主のシンボユカさん。町のパン屋さんというだけでなく、店内で弾き語りライブやワークショップを開催したり、誘われればデパートの屋上イベントや音楽フェスのフード出店などにも参加したりする、音楽好きにはちょっとした有名店。
北アルプスの清水と豊富な米、そして寒冷な気候。
飛騨高山は江戸時代から酒造りが盛んな土地だった。
今も残る、通りに大きく間口を広げた7軒の造り酒屋。
中でも最も古い【平瀬酒造店】の酒蔵を少し覗かせてもらった。
550坪の敷地に30年以上をかけ、たった二人(沢田嘉農さんとその妻、沢田裕江さん)の手で築きあげられたマンションがある。その名も「沢田マンション」、高知市薊野北町にそびえる小山を背にした白亜の建物は、風変りな外観と常識はずれの構造をしたマンションで、建築マニアだけでなくたまたま通りがかった人の目すらも釘付けにさせる不思議な建物だ。休日には住民以外の人たちも足を運んでおり、今では知る人ぞ知る、高知の魅力的な観光スポットともなっている。
大須商店街の東仁門通ゾーンに水色の看板が見える。お店の名前は【The Other】
1994年3月5日に「60〜70年代のファッション、音楽、サブカルチャーのトータルショップ」として始まった当店のこだわりとは。
色や声そして写真を交えながら、その表層に迫ってみたい。
加賀百万石の城下町の風情が色濃く残る【ひがし茶屋街】 古くからあるお茶屋に紛れて、近年は気軽に入れる飲食店や雑貨屋が増えている。【茶房 素心】もその一つ。 この店では、時間がゆっくりと流れている。 金沢に残る花街 金沢で […]
米飴を作り続けて180年余り。
城下町・金沢で愛される伝統の味。
その歴史は初代次右衛門の慈しみの心から始まった。
江戸時代から変わらず現代に受け継がれるその味は、金沢でしか味わえない。
2014年に京都、将軍塚山上に竣工した将軍塚青龍殿は、大正時代に北野天満宮前に建立された大型木造建築「平安道場」(旧大日本武徳会京都支部武徳殿)を解体、移築して建てられた、古くて新しい建物だ。
その建物にの前に、昨年、国際的デザイナーである吉岡徳仁氏による「ガラスの茶室」が現れた。