遠い異国の音楽
―ご出身は関西ですか?
浦朋恵さん(以下U) いえ、岐阜県の高山市です。
立命館大学への進学で京都へ来ました。で、その後大阪へ。―音楽大学ではなかったんですね。
U 音楽文化の研究者になろうと思ってたんです。音楽社会学とか文化人類学の分野になるんですけど「どのように音楽が生まれたのか」とか「なぜ遠く離れた国や地域に同じような楽器が存在していたり、似通った旋律の歌があるのか」とか。そういう研究ってずっとされてて。音楽って「生きる」という生命活動には関係がないから無くても良いはずなのに、歴史が記録され始めた頃から今もあり続けている。「なんでなんやろう?」って。「そんなことを研究する人になろう」って思ってたんですよ、その頃は。
―立命館大学で音楽文化の研究を?
U はい。夢は学者でしたから!でも楽器を演奏することも続けたくてサークルに入り色んなバンドを組み、京都市内でライブ活動とかし始めたら、どんどん楽しい方へ流されてしまって。
―音楽活動に没頭していった?
U ちょうど大学生の頃に
ワールド・ミュージック・ブームが来てたんです。有名なもので言えば、 タラフ・ドゥ・ハイドゥークスや ファンファーレ・チォカリーアなどの、いわゆるジプシー・ミュージックを演奏するバンドが何度も日本に来日したりで、私もしっかりハマってしまいました。それと同時に、初めてレコード屋さんに足を踏み入れたんです。そしてアナログ盤を買うようになったんですよ。そしてさらに音楽の世界が開けてしまって!―音楽の世界にハマっていったんですね。
U 初めて買ったのは、
ルイ・プリマっていう人のレコード。マフィアっぽい見た目でジャケ買いです。私、 『ゴッド・ファーザー』のファンなので(笑)そこからレコードを買い漁るようになりました。今までとは違った視点から世界の音楽を聴けるようになっていったんです。
―ハマった音楽の本場に直接行ってみたり、ということもあったのでしょうか?
U 20代の初め頃は、
【Klezmer(クレズマー)】というユダヤの伝承音楽を演奏するバンドをしていました。中でも アンディ・スタットマンという方に憧れていたんですが、ニューヨークまで会いに行ったこともあります。―それはどういった繋がりで?
U アンディの友人というミュージシャンの方に大阪でたまたま出会えたんです。それで、「電話番号分かんで!」って言われたから「行きます!」って(笑)その2ヶ月後にはニューヨークへ行き、着いてすぐに空港から電話しました。「会いに来ました!」って。
―すごい行動力ですね。
U そうしたら、着いたその日の晩ですよ! 「シナゴーグ(ユダヤ教会)でコンサートがあるからおいで」って言ってくれて! まさかそんなスムーズに行けるとは思ってなかったからビックリ! で、コンサート終演後、アンディから「家でクラリネットのレッスンをしてあげるよ」と言ってもらえて、次の日すぐに伺いました(笑)
家はブルックリンにあったんですが、アンディの住んでいたところは、その頃特に、ほぼユダヤ人しか住んでいない地域だったんです。道端でバスケットやってるような若者も皆黒い帽子に、長いひげ、白シャツに黒いパンツというファッション。世界の想像する敬虔なユダヤ教徒のファッションでした。
家はブルックリンにあったんですが、アンディの住んでいたところは、その頃特に、ほぼユダヤ人しか住んでいない地域だったんです。道端でバスケットやってるような若者も皆黒い帽子に、長いひげ、白シャツに黒いパンツというファッション。世界の想像する敬虔なユダヤ教徒のファッションでした。
―正に異国ですね。
U 私、よっぽど挙動不審だったのかジロジロ見られながらなんとかアンディの家まで辿り着きました。その時点で胸がいっぱいでしたが、アンディに色々なインタビューをさせてもらって、これまでの思いの丈をぶつけた訳なんですが、アンディから「あなたはユダヤの伝統を追求してもダメだ。自分のオリジナルの音楽を作りなさい」ってはっきり言われてしまい、パッカーンってなりました(笑)
-「自分のオリジナルの音楽」ですか。
U クレズマー音楽の演奏家を目指していた私はショックを受けてとぼとぼ帰りました(笑)まぁその後の3年間も毎年アンディにも会いに行ったし、習ったりもしてたんですけども。アンディの言葉をきっかけに、聴いたものを消化して違う何かを生み出す。そういうことをしていかないと意味無いかもなと思って。で、気付けば10年以上の月日が経ち…今に至るという感じです。
椰子の木柄のシャツが似合う音楽
―その間、クラリネットとサックスはずっと並行して?
U そうですね。中学校の吹奏楽部でクラリネットを始めましたが、サックスを始めたのも実は同時期です。
『めちゃめちゃモテたい』って深夜番組覚えてます? ナインティナインと 武田真治が出てたやつ! それのエンディングテーマが武田真治さんの曲やったんですよ。―やってましたね。
U そう。ライブ映像が毎回流れてて。友達に「クラリネットと似てるからサックスも吹けるやろ? 吹いてほしい」って言われて。で、その曲を学校のアルトサックスで練習し始めたのがきっかけです。その後、テナーサックスをロックバンドで演奏していた時期もありましたが、あるとき知人に「カラダおっきいねんから、でっかいの吹け!バリトンや!」って言われて始めたんです。それからすっかりバリトンサックスの魅力にハマってしまいました。演奏すればする程、奥が深くて難しい楽器だなぁとも思っています。
―今回のアルバムでも両方の楽器を?
U 演奏してます。クラリネットもバリトンサックスも、どちらも私の大好きな楽器です。
―これまでのお話を聞いていると、分岐点で「誰かにこう言われたから」というエピソードが多いように感じます。誰かと出会ってとか、友達が探してくれてとか…
U ヒントやきっかけをくれる人に恵まれてるのかもしれないですね。
―周りを巻き込む力というか、今回のアルバムにも数多くのミュージシャンの方が参加されていましたね。
U 総勢21人ですね(笑)
―その人選は浦さん自身が?
U そうです。曲のイメージが膨らんでくのと同時にこの人の音があったらいいなってイメージがさらに膨らみ、強くなっていき、今回は21人になってしまいました。多いですよね。
―「この人とやりたい!」という想いが上回った、ということですか?
U 何と言うか、人間いつ死ぬかなんて分からないので、後悔のない毎日を! といつも思っていて、どんなことでもやるかやらないか迷ったら、とにかくやってみる(笑)そんな感じで、今回のアルバムもこの人の音が欲しい、この人にも入ってもらいたいっていう思いが溢れました。
―ここからは2015年7月2日にリリースされたソロ名義では3枚目のフルアルバム
『ナツメヤシの指』と絡めて、色々と質問させていただけたらと思います。まず、アルバム名にもなっている3曲目の『ナツメヤシの指』ですが、アルバムの中でも少し毛色が違うなと感じました。
U 今回の『ナツメヤシの指』というアルバムは、全体を通して「椰子の木柄のシャツが似合う音楽」というテーマ。浦朋恵のソロアルバムではありますが、エキゾチックな観点から編まれたある種のコンピレーションアルバムのように聴いていただきたいというイメージで作りました。
この曲はトロピカルなディスコを意識した曲です。暖かい国の海沿いのリゾートホテルの地下へ迷い込んだらそこはキラキラのディスコだった! みたいなイメージで出来上がりました。
この曲はトロピカルなディスコを意識した曲です。暖かい国の海沿いのリゾートホテルの地下へ迷い込んだらそこはキラキラのディスコだった! みたいなイメージで出来上がりました。
―なるほど。あと9曲目の『それがいいと、思う』などでは浦さん自身の歌声も聴けますね。
U はい。今回のCDでは初めて日本語で歌ってみました。
―歌詞もご自身で?
U 歌詞は
立川ウォルターさんという方に書いていただきました。
誰かと自分の限界を超える
―曲作りは、まず浦さんがイメージする【景色】があって、それにマッチする【音】を、という流れですか?
U そうですね。バンドで音を出してみないと分からないことも多いですが。
―他人に広げてもらうことも?
U もしも自分ひとりで作ろうとしたら自分の知識とかを超えられないけれど、誰かと一緒にやれば、自分の限界をひょいっと簡単に超えられることがあると思うんです。自分の気付かなかった引き出しを誰かが開けてくれるっていうか。「こんなんもあるで」って。それって、音楽をバンドでやる楽しみの重要な要素だと思います。今回の録音でも
エマーソン北村さんには特に助けていただいて。アルバムのクレジットにもスーパーバイザーと書かせていただきました。
―総監督のような方なんですね。例えばエマーソンさんは浦さんにどんなアドバイスを?
U アドバイスというか、私が持っていった曲の【景色】を、いろんな角度からも観れるよ!って、音で教えてくれる感じですね。例えば、エレクトリックピアノの音色1つでも「この音色は大都会な感じになるし、この音色だったら地方都市の都会みたいになる」とか。イメージをより明確に音にしていくことができたというか。
―大まかにでも、事前に「この曲はどの楽器を使うか」とか決めていますか?
U 決めますね。でも、あくまで想像なので、実際に音を出して見るとしっくりこないこともあって…現場で臨機応変に変更ということもあります。
―浦さんたちのように、たくさんの奏者や楽器でレコーディングされる場合って、どんな風に録音されているのでしょう?
U 色々なやり方があると思いますが、今回のアルバムの場合は、ベーシックのリズムは皆で同時に録って、そこへ管楽器やパーカッション、ヴァイオリンなどを重ねていきました。いろいろな音が加わって理想の音になっていく工程はとてもわくわくして楽しいです。
―なるほど。では『ナツメヤシの指』の聴きどころ/こだわりも聴かせていただけたらと思います。
U 夏は苦手です。でも音楽の好みはガンボ流ロックンロール、いなせなスカ、ロックステディは蜜の味、ラテン音楽全般、フラミンゴ印のドゥーワップ、マイアミ・デスコ、書き割り型エキゾチック音楽…と「椰子の木柄のシャツ」が似合う、そっち寄りの音楽ばかりという不思議。今回のアルバムはそんな私の自家製熱帯夜コレクションです。日本語歌詞による歌ものにもとうとう手を出してしまいました。エキゾチックな観点から編まれたある種のコンピレーション作品のようにお楽しみいただければ幸いです。
―ありがとうございます。あと、多くの人に聴いてほしい/自分の聴きたい音楽をつくる以外の目標があれば最後に是非。
U 映画やドラマなどの映像作品に自分の音楽が使われたらな、とか思います。憧れですね。
2015.08.01 Diddley Bowにて