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日本 • 大阪府 • 大阪市

Introduction

彼女が奏でるトロピカルでピースフルなメロディは、殺風景なコンクリートマンションの一室ですらも、ぽろりと心にヤシの実がふってきそうな、エキゾチックでかつリゾート気分な心象風景を喚起させる音楽だ。
夕焼けにやさしく染まる海辺の藁小屋から、
南国のはずれにある熱っぽい夜の街角から、
あまい潮風にのって浦朋恵の音楽はゆさゆさとやってくる……

Interviewee profile
浦朋恵

岐阜県高山市生まれ。大阪市在住。
バリトン・サックス、クラリネット奏者/「COOL&STRANGE」なBAR、Diddley Bowオーナー。
他にも雑誌『Meets』上での肉日記の連載や、テレビCM「帰ったら、金爆」編の作曲などその活躍は多ジャンルに渡っている。
2015年7月にリリースされたフルアルバム『ナツメヤシの指』がPヴァイン・レコードから絶賛発売中。

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遠い異国の音楽

―ご出身は関西ですか?
浦朋恵さん(以下U) いえ、岐阜県の高山市です。(※1)立命館大学への進学で京都へ来ました。で、その後大阪へ。
―音楽大学ではなかったんですね。
U 音楽文化の研究者になろうと思ってたんです。音楽社会学とか文化人類学の分野になるんですけど「どのように音楽が生まれたのか」とか「なぜ遠く離れた国や地域に同じような楽器が存在していたり、似通った旋律の歌があるのか」とか。そういう研究ってずっとされてて。音楽って「生きる」という生命活動には関係がないから無くても良いはずなのに、歴史が記録され始めた頃から今もあり続けている。「なんでなんやろう?」って。「そんなことを研究する人になろう」って思ってたんですよ、その頃は。
―立命館大学で音楽文化の研究を?
U はい。夢は学者でしたから!でも楽器を演奏することも続けたくてサークルに入り色んなバンドを組み、京都市内でライブ活動とかし始めたら、どんどん楽しい方へ流されてしまって。
―音楽活動に没頭していった?
U ちょうど大学生の頃に(※2)ワールド・ミュージック・ブームが来てたんです。有名なもので言えば、(※3)タラフ・ドゥ・ハイドゥークスや(※4)ファンファーレ・チォカリーアなどの、いわゆるジプシー・ミュージックを演奏するバンドが何度も日本に来日したりで、私もしっかりハマってしまいました。それと同時に、初めてレコード屋さんに足を踏み入れたんです。そしてアナログ盤を買うようになったんですよ。そしてさらに音楽の世界が開けてしまって!
―音楽の世界にハマっていったんですね。
U 初めて買ったのは、(※5)ルイ・プリマっていう人のレコード。マフィアっぽい見た目でジャケ買いです。私、(※6)『ゴッド・ファーザー』のファンなので(笑)そこからレコードを買い漁るようになりました。今までとは違った視点から世界の音楽を聴けるようになっていったんです。
(※1)立命館大学
京都府京都市、滋賀県草津市、大阪府茨木市にキャンパスを置く私立大学。スローガン・タグラインは「未来を生み出す人になる」。校名の由来は孟子『盡心章』の「殀寿たがわず、身を修めて以て之を俟つは、命を立つる所以なり」より。西園寺公望により創始された私塾「立命館」をはじまりとする。
(※2)ワールドミュージック
ワールドミュージックとは、音楽のジャンルの呼び方のひとつで、世界各地の様々な様式の音楽を包括する概念であり、また2つ以上の文化的伝統が混交している音楽である。1980年代前後から世界的に民族音楽のブームが起こり、音楽業界がこれをワールドミュージックと名づけた。
(※3)タラフ・ドゥ・ハイドゥークス
ルーマニアのクレジャニ村のジプシーバンド。泥臭く自由、かつ超絶技巧の演奏で、世界中でカリスマ的な人気を誇る。
(※4)ファンファーレ・チォカリーア
ルーマニアのゼチェ・プラジニ村のジプシー・ブラスバンド。複雑なリズムや力強く疾走感のある演奏で「世界一早いブラスバンド」と呼ばれ、世界中でコンサートを行っている。
―ハマった音楽の本場に直接行ってみたり、ということもあったのでしょうか?
U 20代の初め頃は、(※7)【Klezmer(クレズマー)】というユダヤの伝承音楽を演奏するバンドをしていました。中でも(※8)アンディ・スタットマンという方に憧れていたんですが、ニューヨークまで会いに行ったこともあります。
―それはどういった繋がりで?
U アンディの友人というミュージシャンの方に大阪でたまたま出会えたんです。それで、「電話番号分かんで!」って言われたから「行きます!」って(笑)その2ヶ月後にはニューヨークへ行き、着いてすぐに空港から電話しました。「会いに来ました!」って。
―すごい行動力ですね。
U そうしたら、着いたその日の晩ですよ! 「シナゴーグ(ユダヤ教会)でコンサートがあるからおいで」って言ってくれて! まさかそんなスムーズに行けるとは思ってなかったからビックリ! で、コンサート終演後、アンディから「家でクラリネットのレッスンをしてあげるよ」と言ってもらえて、次の日すぐに伺いました(笑)
家はブルックリンにあったんですが、アンディの住んでいたところは、その頃特に、ほぼユダヤ人しか住んでいない地域だったんです。道端でバスケットやってるような若者も皆黒い帽子に、長いひげ、白シャツに黒いパンツというファッション。世界の想像する敬虔なユダヤ教徒のファッションでした。
―正に異国ですね。
U 私、よっぽど挙動不審だったのかジロジロ見られながらなんとかアンディの家まで辿り着きました。その時点で胸がいっぱいでしたが、アンディに色々なインタビューをさせてもらって、これまでの思いの丈をぶつけた訳なんですが、アンディから「あなたはユダヤの伝統を追求してもダメだ。自分のオリジナルの音楽を作りなさい」ってはっきり言われてしまい、パッカーンってなりました(笑)
-「自分のオリジナルの音楽」ですか。
U クレズマー音楽の演奏家を目指していた私はショックを受けてとぼとぼ帰りました(笑)まぁその後の3年間も毎年アンディにも会いに行ったし、習ったりもしてたんですけども。アンディの言葉をきっかけに、聴いたものを消化して違う何かを生み出す。そういうことをしていかないと意味無いかもなと思って。で、気付けば10年以上の月日が経ち…今に至るという感じです。
(※5)ルイ・プリマ
アメリカ合衆国出身のジャズ・ミュージシャン。トランペッター、ヴォーカリスト、作曲家としてスウィング・ジャズ期に活躍。「スウィンガーの王」の異名を持つ。代表曲に“sing,sing,sing”など。
(※6)ゴッド・ファーザー
1972年に公開されたアメリカ映画。監督はフランス・フォード・コッポラ。マリオ・プーゾによる同名小説の映画化。同年のアカデミー賞で作品賞、主演男優賞、脚色賞を受賞。ニューヨークマフィアの抗争と家族の絆の物語。主なキャストにマーロン・ブランド、アル・パチーノ。
(※7)Klezmer
イディッシュ語を話す東欧ルーツのユダヤ人の音楽。また、ユダヤ教の中でもハシディズムという宗派の冠婚葬祭などで演奏される音楽。クラリネットやバイオリンの演奏が特徴。1920年代よりアメリカではガーシュウィンなどに代表されるユダヤ系移民音楽家によって主に都市部で浸透。日本でもサックス奏者、梅津和時などにより一般に知られるようになった。
(※8)アンディ・スタットマン
1950年ニューヨーク生まれのユダヤ系クラリネット&マンドリン奏者。クレズマーや、ブルーグラス(スコットランドからアメリカに入植した人たちの伝承音楽をベースにしたアコースティック音楽)とジャズを融合した独自の音楽性で1970年代から現在まで活動。デヴィッド・グリスマン(マンドリン奏者)やイツァーク・パールマン(バイオリン奏者)といった数々の音楽家と共演。
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椰子の木柄のシャツが似合う音楽

―その間、クラリネットとサックスはずっと並行して?
U そうですね。中学校の吹奏楽部でクラリネットを始めましたが、サックスを始めたのも実は同時期です。(※9)『めちゃめちゃモテたい』って深夜番組覚えてます?(※10)ナインティナインと(※11)武田真治が出てたやつ! それのエンディングテーマが武田真治さんの曲やったんですよ。
―やってましたね。
U そう。ライブ映像が毎回流れてて。友達に「クラリネットと似てるからサックスも吹けるやろ? 吹いてほしい」って言われて。で、その曲を学校のアルトサックスで練習し始めたのがきっかけです。その後、テナーサックスをロックバンドで演奏していた時期もありましたが、あるとき知人に「カラダおっきいねんから、でっかいの吹け!バリトンや!」って言われて始めたんです。それからすっかりバリトンサックスの魅力にハマってしまいました。演奏すればする程、奥が深くて難しい楽器だなぁとも思っています。
(※9)めちゃめちゃモテたい
1995年10月28日から1996年9月28日までフジテレビ系列局で放送されていたバラエティ番組。放送時間は毎週土曜 23:30 – 24:00。毎週土曜20:00- 放送の「めちゃ²イケてるッ!」の前身にあたる番組である。
(※10)ナインティナイン
ボケ:岡村隆史、ツッコミ:矢部浩之による人気お笑いコンビ。1990年結成。
(※11)武田真治
北海道札幌市出身の俳優、タレント、サックス奏者。1989年、サックス奏者としてデビューするための足掛かりになると考えて応募した「第二回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを受賞、「フェミ男」として一躍注目を浴びる。サックス奏者としてのデビューは1995年、以降、多数の作品を発表し、親交の深かった忌野清志郎のツアーに参加するなど精力的な活動を続けている。
―今回のアルバムでも両方の楽器を?
U 演奏してます。クラリネットもバリトンサックスも、どちらも私の大好きな楽器です。
―これまでのお話を聞いていると、分岐点で「誰かにこう言われたから」というエピソードが多いように感じます。誰かと出会ってとか、友達が探してくれてとか…
U ヒントやきっかけをくれる人に恵まれてるのかもしれないですね。
―周りを巻き込む力というか、今回のアルバムにも数多くのミュージシャンの方が参加されていましたね。
U 総勢21人ですね(笑)
―その人選は浦さん自身が?
U そうです。曲のイメージが膨らんでくのと同時にこの人の音があったらいいなってイメージがさらに膨らみ、強くなっていき、今回は21人になってしまいました。多いですよね。
―「この人とやりたい!」という想いが上回った、ということですか?
U 何と言うか、人間いつ死ぬかなんて分からないので、後悔のない毎日を! といつも思っていて、どんなことでもやるかやらないか迷ったら、とにかくやってみる(笑)そんな感じで、今回のアルバムもこの人の音が欲しい、この人にも入ってもらいたいっていう思いが溢れました。
―ここからは2015年7月2日にリリースされたソロ名義では3枚目のフルアルバム(※12)『ナツメヤシの指』と絡めて、色々と質問させていただけたらと思います。まず、アルバム名にもなっている3曲目の『ナツメヤシの指』ですが、アルバムの中でも少し毛色が違うなと感じました。
2015年7月にリリースされた全11曲のソロアルバム。「椰子の木(海側)やナツメヤシ(砂漠)が似合うエキゾチックな音楽」を奏でるため、エマーソン北村、伊藤大地、田村玄一、松竹谷清など、様々なアーティストたちが各曲を彩っている。
U 今回の『ナツメヤシの指』というアルバムは、全体を通して「椰子の木柄のシャツが似合う音楽」というテーマ。浦朋恵のソロアルバムではありますが、エキゾチックな観点から編まれたある種のコンピレーションアルバムのように聴いていただきたいというイメージで作りました。
この曲はトロピカルなディスコを意識した曲です。暖かい国の海沿いのリゾートホテルの地下へ迷い込んだらそこはキラキラのディスコだった! みたいなイメージで出来上がりました。
―なるほど。あと9曲目の『それがいいと、思う』などでは浦さん自身の歌声も聴けますね。
U はい。今回のCDでは初めて日本語で歌ってみました。
―歌詞もご自身で?
U 歌詞は(※13)立川ウォルターさんという方に書いていただきました。
(※13)立川ウォルター

浦さんの友人。立川流「志らく一門」の立川うおるたーとは別人。

誰かと自分の限界を超える

―曲作りは、まず浦さんがイメージする【景色】があって、それにマッチする【音】を、という流れですか?
U そうですね。バンドで音を出してみないと分からないことも多いですが。
―他人に広げてもらうことも?
U もしも自分ひとりで作ろうとしたら自分の知識とかを超えられないけれど、誰かと一緒にやれば、自分の限界をひょいっと簡単に超えられることがあると思うんです。自分の気付かなかった引き出しを誰かが開けてくれるっていうか。「こんなんもあるで」って。それって、音楽をバンドでやる楽しみの重要な要素だと思います。今回の録音でも(※14)エマーソン北村さんには特に助けていただいて。アルバムのクレジットにもスーパーバイザーと書かせていただきました。
(※14)エマーソン北村
1963年生まれ。キーボードプレイヤー。80年代末に参加したJAGATARA、MUTEBEAT以降、シンガーソングライターからロックバンド、クラブミュージックなど、さまざまなジャンルのアーティストと共演している。「エマソロ」と呼ばれる、古いキーボードとリズムボックスだけで演奏するソロ活動では、レゲエ/ロックステディを出発点にして、あらゆる音楽のエッセンスを凝縮した独特の柔らかいグルーブを奏でる。
―総監督のような方なんですね。例えばエマーソンさんは浦さんにどんなアドバイスを?
U アドバイスというか、私が持っていった曲の【景色】を、いろんな角度からも観れるよ!って、音で教えてくれる感じですね。例えば、エレクトリックピアノの音色1つでも「この音色は大都会な感じになるし、この音色だったら地方都市の都会みたいになる」とか。イメージをより明確に音にしていくことができたというか。
―大まかにでも、事前に「この曲はどの楽器を使うか」とか決めていますか?
U 決めますね。でも、あくまで想像なので、実際に音を出して見るとしっくりこないこともあって…現場で臨機応変に変更ということもあります。
―浦さんたちのように、たくさんの奏者や楽器でレコーディングされる場合って、どんな風に録音されているのでしょう?
U 色々なやり方があると思いますが、今回のアルバムの場合は、ベーシックのリズムは皆で同時に録って、そこへ管楽器やパーカッション、ヴァイオリンなどを重ねていきました。いろいろな音が加わって理想の音になっていく工程はとてもわくわくして楽しいです。
―なるほど。では『ナツメヤシの指』の聴きどころ/こだわりも聴かせていただけたらと思います。
U 夏は苦手です。でも音楽の好みはガンボ流ロックンロール、いなせなスカ、ロックステディは蜜の味、ラテン音楽全般、フラミンゴ印のドゥーワップ、マイアミ・デスコ、書き割り型エキゾチック音楽…と「椰子の木柄のシャツ」が似合う、そっち寄りの音楽ばかりという不思議。今回のアルバムはそんな私の自家製熱帯夜コレクションです。日本語歌詞による歌ものにもとうとう手を出してしまいました。エキゾチックな観点から編まれたある種のコンピレーション作品のようにお楽しみいただければ幸いです。
―ありがとうございます。あと、多くの人に聴いてほしい/自分の聴きたい音楽をつくる以外の目標があれば最後に是非。
U 映画やドラマなどの映像作品に自分の音楽が使われたらな、とか思います。憧れですね。
2015.08.01  Diddley Bowにて
浦朋恵さん

浦朋恵さん