ひきこもり店主
―開店の経緯を教えていただけますか?もともとネット書店をされていたそうですが……?
(金本さん 以下K)店舗をやるつもりで、その準備をしながら少しやっていましたね。
―そうやって2008年に日本橋でオープンされたんですね。
K そうです。
―なぜ本屋をやろうと思われたんですか?
K 20代前半に大学を辞めて、これからどうしようって時に、特にやりたいこともなかったし、どうやって就職していいかもわからへん。ダウナーな時期やったんで。就職しても続くはずがないと思ったんですよ。
―大学はどのようなところへ?
K 芸術大学です。音楽学科の音楽工学ってとこなんですけど。でもまあ行ってなかったですけどね(笑)なにも勉強はしてないです。
―どうして行かなかったんですか?(笑)
K 一浪して推薦入試で合格したのが11月くらいで、入学まで半年くらいあるじゃないですか。多分その間で見事に燃え尽きたんやと思います。新しい生活のスタートに乗り遅れたんじゃないですかね。なんかもうその時は完全に色々バランスを壊しました。
―その状態のまま大学生活に突入してしまったんですね……。
K 辞めた後はずっと家にいてて、唯一外に出て行くのがレコード屋と古本屋やったんですよ。それ以外はどこも出歩かない。まあ今も似たようなもんなんですけど。で、どっちかをやりたいと思ったんですよね。レコード屋か古本屋を。
ほんまに甘い考えなんですけど、そういうお店って隠居してるお爺ちゃんとか世捨て人がやってるイメージがあって、それでなんとかやっていけるかなって。でもその時は現実に店をやろうとは具体的には思ってなくて、なんとなくできたらいいかなぐらいで。
ほんまに甘い考えなんですけど、そういうお店って隠居してるお爺ちゃんとか世捨て人がやってるイメージがあって、それでなんとかやっていけるかなって。でもその時は現実に店をやろうとは具体的には思ってなくて、なんとなくできたらいいかなぐらいで。
―実際にお店を開くことになったのはお幾つの時ですか?
K 2008年の1月で、28歳になる年ですね。
―資金はどうされたんですか?
K 貯めたのもあるし、それまでもネット書店で本とかを売ったのもあるし、実家にもだいぶ助けてもらいました。
―「アオツキ」という店名の由来は何ですか?
K なんとなくつけたんですけどね。自分の好きな色と、当時好きやった稲垣足穂
当時はどこかの言葉、チェコ語とかロシア語の名前をつけるお店がたくさんあって、そんなんも考えたりしたんですけど、そうは言うてもそれを喋れるわけではないんで。自分の中でつっこみが入るというか、やっぱり日本語の方がまだいいかなと。
って作家のイメージが月とか星なんで、その2つを組み合わせて。
当時はどこかの言葉、チェコ語とかロシア語の名前をつけるお店がたくさんあって、そんなんも考えたりしたんですけど、そうは言うてもそれを喋れるわけではないんで。自分の中でつっこみが入るというか、やっぱり日本語の方がまだいいかなと。
―もしかしてご実家も古本屋さんですか?
K ではないですね。再生紙の原料を集めて卸す会社、かな。町を歩いてるとホームレスのおっちゃんらがリヤカーで段ボールとか集めてるじゃないですか。あれの元締めみたいな。
子どもの頃は住居スペースの下にあの人らが集めてきたもんを保管する倉庫があったんですよ。段ボールや新聞紙のほかに雑誌とか本が無造作に放り込まれてた。だから夜な夜なその倉庫に下りていって、ずっと漁ってました。
子どもの頃は住居スペースの下にあの人らが集めてきたもんを保管する倉庫があったんですよ。段ボールや新聞紙のほかに雑誌とか本が無造作に放り込まれてた。だから夜な夜なその倉庫に下りていって、ずっと漁ってました。
―わくわくしますね。
K それと、今なんばパークスがあるとこは昔は大阪球場
っていう野球場で、1階部分にすごくおっきい古書街があったんですよ。色んな店が個別であるんじゃなくて、ひとつのおっきいホールの中にお店がいっぱいあって。そこと実家が古本屋の原体験ですかねえ。
―子どもの頃から古本に親しまれていたんですね。
K 当時は漫画も全巻バッと捨てられてることがあって、そういうのを持ってきては読んでましたね。今はブックオフとかがあるし、なかなか昔とは違うみたいですけど。