place
日本 • 愛知県 • 刈谷市

Introduction

「街から映画の灯を消してはならない」
他のインタビューで堀部社長によって語られたことば。
今回われわれが行ったのは、そのことばの焼き直しであった、といっても過言ではない。
刈谷という「街」とは?
刈谷日劇にとっての「映画」とは?
そして、半世紀以上にわたって刈谷日劇が守り続けた「灯」とは?
まずは当劇場が開館した1954年、旧ユーゴスラビアに生を受けた
ひとりの男のことばから始めよう。

この物語は終わらない。(エミール・クストリッツァ『アンダーグラウンド』)

それは終わり、ではなく始まりのことばであったはずだ。

Interviewee profile
亀谷宏司

黒部市生まれ、富山市育ち。有限会社プラザ知立の社員として刈谷日劇の運営に携わる。担当するスクリーン2は「昔の秀作・名作を選りすぐって2本立て」で編成するといった名画座スタイルで、その内容は全国の映画ファンから好評を博している。
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堀部俊仁

刈谷市生まれ、刈谷市育ち。大学卒業時から現在まで刈谷日劇の運営に携わる。有限会社プラザ知立代表者、愛知県興行協会理事長、そして映画『ラブ&ソウル』の出資者と多彩な顔をもつ劇場の首領。
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刈谷という街~日劇/映画の将来

―刈谷日劇のそもそもの始まり、歴史について、もう一度お聞きしたいと思います。映画館とパチンコという事業形態は創設時からのものですか?
K いえ、最初は映画館です。今の堀部社長の先代が、ちょうどあの辺りの平地で映画館をやっていたそうで。昭和30年代ですかね。当時は映画の全盛時代だったものですから、商売としても非常に儲かったそうです。そして、その儲けでこのビルを建てたというのが初期の流れですね。それで、その後も事業の展開は続いて、映画の他にビアガーデンもやってレストランもやって…その中のひとつにパチンコもあったみたいです。しかし、今はもうパチンコのみ。それも収益の中心はパチンコで、映画館は赤字続きという現状が続いております。
刈谷ホームニュース 2014.9/6

刈谷ホームニュース 2014.9/6

―それでも続ける理由というのは?
K ひとえには堀部の想いですかね。基本的に営業は赤字ですけれども、目を瞑って営業させてもらっています。とうとう、うちが刈谷で最後の映画館になりましたので、「潰すわけにはいかない」というか。このビルが建ったのが昭和46年。その前に平地に建てたのが昭和29年なので。
―歴史としては60年以上…
K そうですね。ただ、近年経営としてはたいへん厳しい状態です。東浦のシネコンができて、お客様もそちらにとられていって。ですが、その状態で2014年のリニューアルまで持っていったのは、やはり社長の想いというか。
―「刈谷で最後の映画館を存続させていこう」という熱意ですね。もともとこの刈谷という土地を選ばれたのは?
K はっきりとはわかりませんが、先代の社長がここの出身だったから、刈谷の人間だったからだと思います。昭和30年代には刈谷だけでも映画館が3つありましたし、近隣の都市だけでも10とか20とか映画館があった。そのようにあちこちに映画館が林立していた時代だったので。地元に造っただけではないでしょうか。昭和の30年代は刈谷にもみっつありましたし、この近隣の都市だけでもある、あった中のひとつなもんですから、別に特に刈谷を選んだわけではなくてもともと堀部が刈谷の人間だから刈谷に映画館造っただけで映画館時代はあちこちに林立してた時代です。
中日新聞夕刊 2013.7/26

中日新聞夕刊 2013.7/26

―2015年現在、この劇場に足を運ぶお客さんの層は?
K 半分は地元の方です。地元の、年齢層は比較的高くて40代50代の方が中心ですかね。そんなに映画通ではないけども、娯楽として映画を観よう、休みだから映画を観ようという地元の方が半分です。あとの半分は、テーマが自分の好みにピンポイントで当たった方。たとえば今回、特集させてもらった山戸結希(※1)監督、この山戸さんは刈谷出身の監督さんなんですけど、彼女の初期の作品はもう東京でもあまり上映する機会がないので。東京からも含めて、遠方からもたくさんのお客様に来ていただけましたね。
(※1)山戸結希
愛知県刈谷市出身の映画監督。作品に『おとぎ話みたい』、『5つ数えれば君の夢』など。
―なるほど。亀谷さんは、この刈谷という土地にはどんな印象をお持ちですか?
K ご存知の通り、刈谷はトヨタの企業城下町でして。デンソーとアイシン(※2)それぞれの本社があって、関連会社もいっぱいあるもんですから、住んでいらっしゃる方の平均収入も高く、文化的なことにもお金を使うというか、興味のある方が多いので。ひとことで言えば豊かな街だと思います。ただ、娯楽や遊びよりも産業に力を入れていく傾向がある。それと同じことがお客様にも言えて、働き盛りで忙しい方は、なかなか刈谷日劇には足を運んでいただけていないかな、とも。じっさいに、今うちのお客様の中心は、いわゆるリタイア世代の方々、働く世代を過ぎて時間もあるし映画でも観ようかという方々が多いのです。
(※2)デンソー、アイシン
ともにトヨタグループの自動車部品メーカー。本社は愛知県刈谷市。
―文化に対する市の理解、という問題もありそうですね。
K 最近やっと刈谷市もフィルムコミッション(※3)をつくろうということになりました。時代が巡ってきたのかなとも思います。交通規制の協力やロケ地の提供など、市役所が一回噛むとスムースに出来るようなこと。地域の町おこしというかたちであちこちがやっていることをようやく刈谷もやり始めた、と。
(※3)フィルムコミッション
地域での撮影場所誘致や地元住民のエキストラ出演手配等、映像作品等の制作支援を行う機関。地方公共団体や観光協会が事務局を担当している場合が多い。地域活性化を狙いとする。
―市長が変わられたとかですかね?
K どうでしょうね。市長・副市長が映画好きだと噂で聞いたことはありますが。本当のところはわかりません。ただ、この運動が広まれば、うちにとってもチャンスです。刈谷がロケ地になれば、当然映画館も貸し出しますし、撮影にも協力します。たとえば、先ほどの山戸監督の『おとぎ話みたい』のように、隣の校区の依佐美中学校の子どもたちにエキストラとしての出演を呼びかけたり、ロケ地として学校の体育館を使えるようにしたり。そうやって携わった映画がご当地映画の枠を超えて、日本中に広まっていくのはこれ以上ない喜びですね。
―なるほど。現在、行政以外に業務や企画の面で連携されている場所はありますか?市外の映画館だったり。
K 特にはないんですけど、お世話になっているという点ではシネマスコーレさんですかね。支配人の木全さんという方と、うちの社長が現在ともに映画組合の役員(理事長と副理事長)だというご縁もありまして。この木全さんは「あいち国際女性映画祭」の総指揮をやっていらっしゃるような、愛知の映画界では一番の重鎮のような方なんですが、社長との関係もあって、情報の面でも人脈の面でも、ほんとうに助けてもらっています。
それから、最近は東京のポレポレ東中野(※4)さん。そこの小原さんという方が、こないだ山戸結希監督と一緒にうちに遊びに来てくださって。たくさんの刺激をいただきました。
東京都の中野区にある映画館。オーナーは写真家・映画監督の本橋成一。スクリーンの大きさに対して客席が少なく、客席1席あたりのスクリーン面積が日本で最も広い映画館であると言われる。最寄駅はJR東中野駅。
―地域は違えど、ポレポレ東中野と刈谷日劇は趣向も近い気がします。
K 近いというか、最も参考とする映画館ですね。ポレポレ東中野でかかる映画というのは、日本のサブカル映画の中でも最先端といえるような映画なので。小原さんのかける映画を、ホームページでそっと盗み見して参考にすると。あと、連携という話でいうと、最近では豊橋の「まちなかスロータウン映画祭(※5)」の実行委員の方。本業は農家だと仰っていましたが、年に一度映画祭のときに、あちこちに声をかけて映画を集めてくるという変わった方がいまして。その方と「ぜひ三河全体で映画のイベントをやってみたい」という話をさせてもらいました。豊橋が東三河で、刈谷が西三河なので、映画祭のようなイベントを通じて三河全体の映画熱をアピールできたらと。
(※5)まちなかスロータウン映画祭
2002年に始まった市民による映画祭。クローズした映画館を利用し、名画を上映しようと豊橋JC(青年会議所)を中心に企画・開催された。
―「時代が巡ってきた」ではないですが、亀谷さんのお話を聴いていると映画界の未来も明るく感じてきます。たとえば、自分の教え子の中にも「将来、映画業界に関わりたい」という若者たちがいるのですが、なにか彼らにメッセージをいただけないかと。
K ええっと、そうですね。劇場に限って言うと、未来は暗いと思います。今、劇場の主流はシネコンなのですが、シネコンといえども経営は厳しいようです。シネコンはシネコンで多くのスタッフを雇って、かつ高いテナント代を払わなければならないので、決して儲からない斜陽産業だと思います。また、シネコン以外もうちのように潰れるか潰れないかギリギリの線でやってるところも多いのではないでしょうか。実際に映画館の数は年々減っていく一方なので。
―たしかに。
K 逆に部分で見たとき、映画制作側には明るさを感じます。時代の変化というか、大手映画会社に入って技術スタッフから下積みを重ねて…という昔ながらの仕組みに比べると、現在「映画を作る」敷居はとても下がっています。高校生でも、ビデオカメラを持って映画を一本作っちゃえる時代なもんですから。制作側として「映画を作る」あるいは「技術班・カメラマンとして生きる」ことも努力と熱意があれば、きっと道はあるのかなと。
実際に、今回の『おとぎ話みたい』を撮ったのも、山戸監督のもともとの仲間、学生時代からの仲間と、監督のファンのような方たちが周りを固めてやっています。映画会社としても個人経営のようなかたちで、製作は仲間と情熱を傾けて、配給もぜんぶ自分たちでやる、と。そのようなやり方は、外からみても楽しいし、夢があるような気がしますね。
―お話を聴いているかぎり、上映する側も、作品を選んだり・企画を練ったりと、とても魅力的な仕事に聴こえますが。
K 収入を気にしなければ、ものすごく楽しいとは思います。ですが、たとえばスタッフの人数だけとってもウチは3人、他の劇場さんもおそらく数名のスタッフでやってらっしゃると思います。当たり前ですが、新たにスタッフを雇うとなるとその人の生活をキチッと保障する必要があるので。そのための儲けを多くの映画館が生み出せていないのが現状だと思います。
―なるほど。
K もう一つは、本業が別にあってというカタチですね。クノさんたちが本業とは別に、こういうサイトをなさっているような感じで、いわゆる「イベントとしての映画上映」はまだまだ道がたくさんあると思います。たとえば、先ほど話した『まちなかスロータウン映画祭』のようなイベント。あれなんかは、豊橋という土地から映画館が無くなってしまった後、地元の映画ファンの方々が年に1回、自分たちで場所を作りなおした好例です。
他にも、いま各地で流行っている企画上映会のようなやり方もあります。スポーツバーを借り切って、プロジェクターから壁に投射して映画を上映したり。そういった1回かぎりの企画なら、下世話な話ですが儲けを出すことも可能かもしれません。ともかく、今も世の中には映画ファンがたくさんいて、作品もたくさんある。ただ上映する場所だけがない。
―儲けがない分、どんどん場所が減っていくと。インタビュアーとしてだけでなく、ひとりのファンとしても刈谷日劇の存続を願います。
K そうですね。続けないと僕も失業してしまいますので。今は映画館があるから、映画の仕事ができていますが、もしここが閉じたら失業という話なので。なんとか続けたい。そのために色々と企画を練って、黒字になるように頑張っていきたいと思います(笑)
―ぜひとも。最後にミニシアターの特権、刈谷日劇でしかできないと思うことがあれば聴かせてください。
K そうですね。うちに限った話ではないと思いますが、「映画館で映画を観る」というのはやはり特別な体験だと思います。周りの観客と一緒になって笑ったり、泣いたり。先日、カンパニー松尾監督(※6)の『テレクラキャノンボール(※7)』という映画をやりました。この映画はアダルトビデオから派生したもので、下ネタどころかエロだらけの映画なんですけど、それを観てみんなで笑ったり、ツッコんだり。「それはひどい!」とか(笑)その時に、みんなで映画を観る楽しさを久しぶりに思い出しまして。
 ―みんなで作品を観る楽しさ、ですか。
K 映画が終わってからも、ここのロビーでまったく知らないお客さま同士が「あれはひどかったね」と語り合ってから、帰ってくださったり。その時に、人が交われる場所として映画館はあるんだなと。「自分と映画」という対の関係だけではなく、他の人と感想や意見を交換できる。そんな場所にしていきたい、そんなことができる作品を上映していきたいと思います。
2015.03.23 刈谷日劇にて
(※6)カンパニー松尾
AV監督。愛知県春日井市出身。2013年にアダルトビデオ作品シリーズであったテレクラキャノンボールの映画、『劇場版 テレクラキャノンボール 2013』が公開
(※7)テレクラキャノンボール
カンパニー松尾によるアダルトビデオ作品シリーズ。インタビュー内で語られているのは、前年度に公開された『劇場版 BiSキャノンボール2014』
亀谷宏司さん

亀谷宏司さん