「The Cool Core」(戦極MC BATTLE)
「ミスターアサシン」(同上)
「名古屋が生んだ孤高の喧嘩師」(フリースタイルダンジョン)
数々の通り名とは裏腹に、
本人の口から聴こえてきたのは、熱く理知的な声だった。
“当然のように未来は自分で切り開いて行く以外ない”
言葉の芸術家が描くヒップホップの未来とは。
名古屋=JET CITYの片隅で、夜行性の夢を覗く。
台湾の北部に位置する街「九份」
かつて金鉱で栄えたこの街の、過去に飛んでみる。
山麓から鉱山へと続く石段を、昇っては降りて。
初めに金を掘り出したのは、何という名の鉱員だったか。
やがて採掘量の降下とともに鉱山は閉山を迎え、
街には猫と子どもと老人と空き家だけが残った。
これは「九份」の山間に佇む、古風な茶坊の物語。
むかし、鉱長の屋敷であった、静かな茶坊の物語である。
大須商店街の東仁門通ゾーンに水色の看板が見える。お店の名前は【The Other】
1994年3月5日に「60〜70年代のファッション、音楽、サブカルチャーのトータルショップ」として始まった当店のこだわりとは。
色や声そして写真を交えながら、その表層に迫ってみたい。
4足になる。地面に左右の手をついて。その手を足に見立てて、しばらく歩いてみる。
4足で走る。身軽な猿のように。右の後足から左の後足、そして左の前足から右の前足と4つの足を順に動かしたとき、走者は(瞬間)空を舞う。
「疾走感が2足の時とは全く違いました」
話し手による最初の感覚。ことばは実感に置き去られてはいないだろうか。
これはひとりの青年の声である。
謙虚で物静かな細身の好青年。そんな彼が「世界最速の4足ランナー」になるまでの声を、まだ見ぬ歩行者/走者に届けたい。
2足のその先へ。BGMはきっとKashiwa Daisukeのrabbit’s_quartetが良いだろう。
「街から映画の灯を消してはならない」
他のインタビューで堀部社長によって語られたことば。
今回われわれが行ったのは、そのことばの焼き直しであった、といっても過言ではない。
刈谷という「街」とは?
刈谷日劇にとっての「映画」とは?
そして、半世紀以上にわたって刈谷日劇が守り続けた「灯」とは?
まずは当劇場が開館した1954年、旧ユーゴスラビアに生を受けた
ひとりの男のことばから始めよう。
この物語は終わらない。(エミール・クストリッツァ『アンダーグラウンド』)
それは終わり、ではなく始まりのことばであったはずだ。
「Back To The Basic」というコトバがある。
「Basic」、すなわち「基本」/「原点」に立ち戻ること。
だが、そもそも「基本」とは何か。「原点」とはどこか。
あるいは、それらは伝承可能なものなのか。
ここで語られるのは「藤枝東」、「豊田」自動織機といった、日本のサッカー/産業の「原点」そのものである。
そして、話し手のコトバによれば、「信頼関係と集中して取り組む意識」を条件として、「基本」の伝承は場所を問わず「可能となる」。
このコトバは時代を超えるか。
「原点」の中に身を置いて過ごし、かつ聴き手の「父」でもある久野裕一さんに声を聴く。
話のあいまに何度も繰り返されたことば。
「大前提は、子どもにとってどうなのか」
では、大人は? 「環境をつくるだけでいい」
サッカーあるいは教育にかぎらず様々な分野でトップダウン/ボトムアップの方式が見直される現代において、
SEIKAのスタイルは明らかに他と一線を画しているように思う。
“「遊び」と「環境」だけ与えれば、子どもは伸びていく(金田喜稔)”
現サッカー解説者のことばが示す場所を、ひとつの花園と見立てたとき、そこでの「遊び」また「環境」とは何か。
同中学校サッカー部のコーチ、山本悦史 さんに声を聴く。