anomura

すてきな声に、会いにいこう
photo by Pay a.k.a Wildpit¢h
interview - 日本, 愛知, 名古屋市, Studio NEST

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Introduction
「The Cool Core」(戦極MC BATTLE) 「ミスターアサシン」(同上) 「名古屋が生んだ孤高の喧嘩師」(フリースタイルダンジョン) 数々の通り名とは裏腹に、 本人の口から聴こえてきたのは、熱く理知的な声だった。 “当然のように未来は自分で切り開いて行く以外ない” 言葉の芸術家が描くヒップホップの未来とは。 名古屋=JET CITYの片隅で、夜行性の夢を覗く。
Interviewee profile
呂布カルマ

大阪市東淀川区生まれ、愛知県名古屋市育ちのラッパー。青年期よりプロの漫画家を志し、名古屋芸術大学・美術学部での修練を経て、ラッパーと成る。発表された音源を始め、諸ジャンルへの客演、愛知県内外でのライブから国内最高峰のMCバトルまで伸びたその勢いは今や飛ぶ鳥をも落とす。JET CITY PEOPLE代表。

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「呂布カルマ」の由来

-歌詞や活動を拝見していると、関西のニュアンスを感じることが多いのですが、生まれは愛知ですか?
呂布カルマさん 以下呂) いや、小学校卒業まで大阪です。中学生になった時にこっちに越してきて。なんで、ちょいちょい関西弁が混ざってしまって。藤原紀香的な気持ち悪さというか。
-名古屋弁は使われないですか?
呂 使わないっすね。名古屋の人も中学生ぐらいまでは名古屋弁強いんすけど、高校ぐらいからだんだん使わなくなってこないすか?標準語になってくるというか。
-たしかに。
呂 僕も中学で来たばっかりの時は抵抗があったんすけど、ある程度までいくと、強烈な名古屋弁って港区の人たちぐらいしか使わんのかなって(笑)
でも、思春期にブランキージェットシティ(※1)の「皆殺しのトランペット」って曲を聴いて、最初にベンジーの語りみたいなのが入るんすけど、イントネーションが名古屋弁なんすよ。それ聴いて格好良いなとは思ったっすけどね。
(※1)ブランキージェットシティ
1987年に結成。ギターボーカルの浅井健一が作詞・作曲する3人組のロックバンド。音楽番組「イカ天」における勝ち抜き戦を制覇し、プロデビュー。熱狂的なファンを獲得しており、音楽業界でも椎名林檎をはじめ、たくさんのアーティストに影響を与えた。2000年に解散。
-JCPという団体名はブランキージェットシティから?
呂 そうですね、完全に。名古屋ってヒップホップ的には052じゃないですか。僕も始めた時は何の疑いもなく052って言ってたんすけど、でも言ってる人たちとは明らかに色が違うなっていうのも何となく思ってて。一括りにされて、県外の人たちから見られるのもイヤやなって思い始めてた時に、レイトワンっていうラッパーの先輩がサイファーで「俺たちは052とか言われる前から、ここ名古屋はジェットシティだろ」みたいなフリースタイルをしてて。めっちゃ盛り上がったんすよ。それを結構覚えてて。
-「ジェットシティとしての名古屋」の方がしっくり来た。
呂 で、2ndを出すときにレーベルを形にしなきゃいけない、名前はどうしようってなって。鷹の目と「ジェットシティ使いたいね」って付けた感じっすね。まあJCPのやつでも聴いてないやつもいっぱいいると思うっすけど。
-加入の条件などはあるのでしょうか?
呂 別に加入というか、しっかり契約料を払ってるわけでもないし、CDの制作費を用意してもらう感じでもないので。鷹の目のスタジオで録ってて、出すアテもないけど曲が溜まっていって「じゃあリリースのお手伝いしましょうか」みたいな。そんなに普段からみんながベッタリ一緒にいるわけでもないですし。
-自分がJCPの一員かどうかっていうのは個々人の判断ですか?
呂 まったく僕らと絡みもなくて、なんも知らんのに言われてもな、とは思うすけど。でも最初はみんなに言ってほしいなって思ってたんすよ。名古屋はジェットシティでそこに暮らす人間としてのジェットシティピープルみたいな。052よりも少し詩的な人たちというか。そういう人たちをレペゼンジェットシティにさせられたらいいなって思ってたすけど。
-このロゴも呂布さんが?
呂 これはチョッカーズっていう、3rd以外のデザインを全部やってくれてるデザイナーがいるんすけど、その人が考えてくれて。よく見るとちゃんとJCPになってるんすよね。ちょっとヤクザっぽいっすけど(笑)
-思いました(笑)
呂 Tシャツ作ったんすけど、それを着て実家に帰ったときに親父が、「お前それ鍵十字やんけ」って。「意味わかって着てんのか?」って(笑) 親父はいい加減なやつなんすけど、そんなん気にするんやって。
-大学から芸大に進まれたということですが、なぜ芸大に?
呂 漫画家になりたかったんすよ。ほんとは高校卒業したらすぐにプロの漫画家のところにアシスタントで入って修行したいと思ってたんすけど、親が「潰しも効くし、大学は行っておいた方がいいよ」って。で、勉強してなかったんで芸大とか美大だったら行けるかなって。
-今もイラストを描かれていますよね。
呂 イラストっていうか落書きっすけどね。
-どんな漫画家になりたかったのでしょう?
呂 ケンカっすね。暴力というか闘うシーンが描きたくて。よくよく考えたらストーリーが描きたいわけじゃなくて、ホントに暴力のシーンが描きたいだけだったっていうのが分かってきて。仕事にする感じじゃないなって(笑) 大学卒業するまでは描いてたんすけど、なんかストーリー上、ケンカにたどり着くまでのシーンとか、背景描いたりとか、そういうのがものすごい苦痛で。諦めたっすね。
-記憶の範囲で最初に音楽と出会ったのは?
呂 しっかりと熱中して聴くようになったのは中学に上がってラジカセとか買ってもらってからっすね。ラジオとか聴くようになって。
-最初にハマったアーティストは?
呂 スピッツっすね。あとthe pillowsに結構ハマってたっすね。多分もともと切ない歌詞が好きなんすよ。「ストレンジカメレオン」って曲があって、あの歌詞とかが切なくて。それで歌詞に引っかかる曲を好んで聴くようになって。あと、Fishmansの『空中キャンプ』がちょうど中1の時に出て。その歌詞にもすごい引っかかりましたね。

the pillows「ストレンジカメレオン」MV

-バンドが多いですけど、ご自身で組まれた経験は?
呂 いや、まったくやってなくて。中学の時とか周りはバンドブームで、友だちはやってたんすけど、自分は歌えるわけでもないし、ギターとか楽器を練習するって感じでもなかったんで。あと、中学生ぐらいがやるバンドってコピーバンドじゃないすか。GLAYとかハイスタとか。それ見て幼稚やなと思ってたんで。僕が聴いてた音楽はあまり周りは聴いてなかったっすね。
-では、いきなりラッパーに。
呂 音楽を自分でやりだしたのはラップっすね。
-ラップとの出会いって覚えてますか?
呂 ラップというか、ヒップホップとの出会い自体は小学校の時におかんがスチャダラパーの『スチャダラ外伝』(※2)を買ってきて。それも多分「今夜はブギーバック」目当てだったんで、音楽として聴いていたわけじゃないすけど、軽快なかけあいみたいなのが面白かったっすね。落語の寿限無ってあるじゃないですか。小学校の時って俺の周りであれを暗誦できるのがちょっとしたステータスで。覚えて競ったりしてたんですけど、それよりも「より高度やんこれ」みたいな。『スチャダラ外伝』の歌詞は全部暗誦できるぐらい覚えてる。でも、ヒップホップって意識では聴いてなかったし、そこで僕の中で一回ヒップホップは終わってるんですけど、ヒップホップとの出会いっていうとそこですね。自分で意識してヒップホップを聴くようになったのは高3とか大学生ぐらいなんで、途中がだいぶ空いてるんすけど。
(※2)スチャダラ外伝
1994年に発売されたスチャダラパーの4枚目のアルバム。「今夜はブギー・バック(smooth rap)」が収録されている。
-芸大入学後はすでにラップを?
呂 しっかりとは始めてないすけど、授業中にちょっとずつライムを書いたりとか。テープレコーダーでデモを作ったりぐらいはしてたんすけど、ホントに暇つぶしというか気分転換というか。
芸大って卒制で1年かけて絵を描くんすよ。デカい作品を。ずっと同じ絵を描いてる、その合間にラップをやったりとか。でも、当時は人前でやったりとかは全然考えてなかったっすけどね。
-鷹の目さんとの出会いは大学在籍中ですか?
呂 いや卒業してからすよ。あいつと僕は4つぐらい違うんで。卒業してだいぶ経ってから鷹の目がコンタクトとってきて。「レコーディングとかのお手伝いできますよ」って。で、家に行ってみたら芸大のすぐ近くに住んでて。「後輩やんお前!」みたいな。
-2009年に1stアルバムをリリースされていますが、その前もラップ活動はされてたんでしょうか?
呂 そうですね。卒業してから1年目で始めてて。デモ作って、ライブの時に配ったり。けっこう精力的にやってたっすね。
-その時も拠点は名古屋で?
呂 ずっと名古屋です。なんかネットでトラックをアップしてる人ってけっこういて、今もいると思うんすけど、そういう人に連絡とって。「ラップやってるんすけど、トラック使わせてください」みたいな。「レコーディングまでやりたいんで、レコーディングできるようにしてください」っていうと、そういう人ってやっぱりラップ乗せてもらえるのが嬉しいんで、色々考えてくれるんすよね。機材オタクだったり。で、その人の家に行ったりとか、スタジオ入って録って、編集までしてもらって…っていうのをずっとしていて。その極めつけが鷹の目やったみたいな。
-当時の音源は今もどこかで聴けますか?
呂 あると思います。てか、けっこう1stの曲とかはそうっすね。それを鷹の目のとこで録り直してって感じで。
-その時から名前は呂布カルマですか?
呂 そうっすね。むっちゃ後悔してるっすけど。
-え?
呂 恥ずかしいっすもんね。ラップやってる奴やったらいいんすけど、クラブの友だちが連れてきた会社の友だちとか、学校の友だちとかに自己紹介するとき、呂布カルマですって。「え?」とか聞き返されて。説明すんのめっちゃ恥ずかしいなって。これは芸名あるやつはみんなあるんでしょうけど。本名に由来してる名前とかやったら全然いいと思うんすけど「呂布カルマってなんやねん」って(笑) たぶんZEEBRAとかも恥ずかしいと思うっすね。
-なるほど(笑) 呂布カルマの由来は?
呂 ちょうどラップを描き始めた時ぐらいに『蒼天航路』っていう三国志の漫画を読んでて。その中で呂布奉先(※3)っているじゃないですか?最強の武将。めっちゃ強いなって(笑) そっからっすね、完全に。んで、最初呂布だけやったんすけど、なんか付けた方がいいな…カルマ語感いいな…って。めちゃめちゃ安易な感じで。だから恥ずかしいんすよね。
-今では完全に定着してしまいましたが。
呂 そうですね。最初名前付けるまでは呂布カルマか、やしきたかじん(※4)から取ったヤングたかじんかで迷ってたんすけど。もし、その時ヤングたかじんにしてたら、今もうたかじん死んだじゃないですか?だからネクストたかじん俺やったなって。そっちにしとけば良かったなって思うっすけど。
(※3)呂布奉先
漫画『蒼天航路』(原作原案 李學仁、漫画 王欣太)の登場人物。後漢末期の武将呂布がモデル。ドレッドヘアーに巨大な身体、どもり気味の話し方が特徴的。後漢末期の武将で最強とされ、まさに一騎当千のちからを曹操軍との戦いにおいてみせた。
(※4)やしきたかじん
大阪市西成区出身。歌手、タレント、司会者。歯に衣着せぬストレートな発言でテレビ・ラジオのパーソナリティとして不動の地位を誇り「浪速の視聴率男」と呼ばれた。歌手としての代表曲に「やっぱ好きやねん」「東京」「ICHIZU」など。食道癌にかかり闘病の末2014年に死去。
Place info:
Studio NEST
栄能楽堂ビルの東館1Fに位置するレコーディングスタジオ。ボーカル録音、ミックス、マスタリングを始めとする様々なニーズに対応。主宰者:鷹の目氏。
 
時間: 月曜日~日曜日 13:00 - 3:00 *要確認
交通: 地下鉄名城線「矢場町駅」から徒歩8分/地下鉄東山線「栄駅」から徒歩10分
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