Introduction

話のあいまに何度も繰り返されたことば。
「大前提は、子どもにとってどうなのか」
では、大人は? 「環境をつくるだけでいい」
サッカーあるいは教育にかぎらず様々な分野でトップダウン/ボトムアップの方式が見直される現代において、
SEIKAのスタイルは明らかに他と一線を画しているように思う。
“「遊び」と「環境」だけ与えれば、子どもは伸びていく(金田喜稔)”
現サッカー解説者のことばが示す場所を、ひとつの花園と見立てたとき、そこでの「遊び」また「環境」とは何か。
同中学校サッカー部のコーチ、山本悦史 さんに声を聴く。

Interviewee profile
山本悦史

京都生まれ、滋賀育ち。
現京都精華女子中学高等学校サッカー部コーチ/立命館大学大学院社会学研究科所属。
研究のテーマは「プロスポーツクラブの地域戦略とイノベーションのジレンマ」について。

プレイヤーズファースト-“指導者”から“志同者”へ-

-精華においては、言葉が適切かどうかはともかく判断自体を投げちゃうわけですよね。子どもたちに。
Y 大前提は子どもにとってどうかという問題で。子どもにとって良さそうだなって思ったら全部取り入れる。アップもダッシュとかじゃなくて、ズンバ(※1)っていうコロンビアのエクササイズなんですけど。踊るんですよ、音楽に合わせて。最近やらなくなったんですけど、それは生徒が飽きちゃったから(笑)それなら別の筋トレのゴム使いながらアップしたりとか、インナーマッスル鍛えるトレーニングをやったりとか。
-新たなメニューを導入するときの子どもたちへの説明などは?
Y 見せるんですよ。言わない。説明できないから来てもらう。ズンバもインストラクターに来てもらって、それをこちらがiPadで録って、後日それを見ながらみんなで覚えます。ホンマモンの人に来てもらうというか。僕らが教えれることには限界があるので。そこまでは用意する。まずは来てもらって実際に教えてもらう、ウチの子らを。
(※1)ズンバ
ラテン・ミュージック+ダンスのフィットネス・エクササイズ。youtube上に精華女子サッカー部はじめいくつかの実演動画あり。
-すごいと思う反面、他のクラブや学校でそのやり方ができるのかなとも思います。現実的な問題として。
Y お金がいるってなると、もしかしたら難しいこともあるかもしれないですね。でも、人間関係だけでやることも可能だと思います。そのかわり、先ほどの“おもてなし”は全力でやりますけどね。例えば、高校チーム監督の越智さん(※2)なんかはfacebookやtwitterでどんどん繋がっては勝手に全国飛び回って、面白い指導者がいれば連れてきて。ある意味、サッカー選手としてはスタッフの誰もスゴいところまでいってないんです。兄貴(※3)も中学・高校でカジッたくらいですし、僕もサークルで止まった。越智さんもまあ大学までやってたとは思うけど、プロとかまでいったわけじゃない。でも、だからこそ良い意味で自分の指導スタイルが確立されていないというか。こうあるべきという。プロに限らずある程度のレベルまでいくとこの方法で自分がうまくなったからって、疑わずにそれを押し付けちゃう人もいる。自分の世界の中で教わったことや学んだことを伝えようと。それはそれですごい大事なことなんですけど、ウチの場合はそれがない分、すごいスペシャリストがいれば連れてきて、教えを請う。同時に僕らも進化していく、子どものために。
(※2)越智健一郎
愛知県名古屋市生まれ。現京都精華女子高等学校女子サッカー部総監督、ASラランジャ京都監督
(※3)山本浩介
京都府京都市生まれ。現京都精華女子中学校女子サッカー部顧問
-なるほど。
Y いまプレイヤーズファーストっていう言葉をすごい使ってて。「選手が第一で、そのためにスタッフは動こう」っていう。
-楽しいでしょうね、子どもたち。
Y でも、まあ「そんなこと知ったこっちゃない」っていう子たちなんですけど(笑) この間、東京でウチと似たようなスタイルでやっておられる指導者の方がいて、その方がハーフタイムに「相手がどんなことされたら嫌か考えてやったらいいんじゃない」って言ったらしいんですよ、ウチの子らに。普通やったら頑張りますとか応えると思うんですけど…ウチの子らスゴいなと思ったのは「そんなん知らんわ」って。「聞いてきてくださいよ、相手チームに」って(笑)すげえな、そんな返しするんやって。ひとつ間違えればホントに失礼な話なんですけど。
-それは失礼ではなく、あくまで意のままにというか。
Y だから実はトップダウン/ボトムアップとかいう問題でもないのかもしれない。越智さんももう40手前なんですけど、友達なんですよ、子どもらと。じゃれあって、一緒にグラウンドで転げまわってたりとか(笑)だから公式戦も「前日までの仕掛けが自分の仕事で、当日はもう遊んでるだけだ」って。全国に行ってもそうで、そこまでは寝ずに色んな仕掛けをしてると思うんですけど。当日はまぁ気楽にというか。
-環境というか舞台だけは準備する。あとは勝手に演じてくれ、と。
Y まあ、普段から無意識に色んなことをやってる部分があるので。面白そうやったらやるみたいな。なので、環境作りとかは後付けなんじゃないかなとも思います。でも、最近はこの精華のスタイルを理解したうえで入団してくれる選手や、お子さんを預けてくださる保護者の方々も徐々に増えてきたので。手応えも感じていますね、責任感と同時に。
-少し脱線しますが、そんな精華がモデルとする国やクラブなどはありますか?例えば、かつて日本のサッカーがドイツをモデルとしたような。
Y うーん。
-“何年”の“どこどこ”のサッカーとか。
Y 難しいですね。まず戦術を教えたことがないので。チーム練習とかもしたことない。高校の選手権前に少しだけディフェンスラインの確認をしたことはありましたけど「チームとしてどう攻めろ」、「サイド攻撃しろ」とか「中央からこう攻めろ」とかは一切やったことないですね。ぜんぶが子どもの発想。
-凄い。
Y 結局は相手との関係性の中で、どうボールを動かす、どうドリブルする、どうボールを持つかということなので。でも、例えば中学なんかでも、去年のU-15京都予選では、バンバン逆側のサイドの選手が真ん中に入ってきて、前線の選手は外側に流れて、流動的に相手を翻弄しながらぼろ勝ちしていった。そういった動きを教えたこともないのになんでかやるっていう。子どもって凄えわって逆に尊敬しました。
-尊敬ですか。
Y こちらの勇気も要るんですけど、子どもってやっぱり可能性を持ってる。大人が思っている以上に発想力もあるし。そう考えると教えるって損だなと、こっちにとっても。発見がないっていう意味で。
-なるほど。
Y 子どもにとっても、サッカー界にとってももったいないことしてるなって。
-主流になっていってほしいです、この国のサッカー界の。
Y 広がればいいとは思ってます。だから精華で講演会をやる時は面白い取り組みをやってそうな指導者を呼んできて話してもらう。それで、そこに保護者とかスタッフとか選手も呼ぶし、京都の、全国の指導者も呼ぶ。精華っていう場から新しいスタイルを広げていこうっていう。あんまり隠しもしたくはないし、広がれば広がるだけいい。例えば、最近の体罰の問題。体罰と教え方がどう繋がるかっていうのはまた別問題やとは思いますけど、子供たちとの関係をどう築くかっていうところではかなり共通のテーマになってくる。
-先ほどの「同じ地平で」というかフレンドシップという教え方にも関わってくる。
Y でも、それだけやと多分楽しい集団になって終わると思うんです。だからベースとなる中学では、もうちょっとやる内容もがんじがらめというか。ドリブルも「こういう風に」とかね。でもそれをやらんかったから「おいボケ!」っていうわけじゃなくて、例えば「イニエスタはこうやってるよ。香川はこうやってるよ」って。iPadを使ってYouTubeの映像を見せたりもする。その前にこちらも彼らの映像をコマ送りで見て分析するといった作業をやったりもしますけど。
-子どもにとってどうか?という意識は保ちつつ、なおかつ段階も踏んでいく、と。そのような段階の踏み方、例えばここまでは“教え”て、ここからは“考えさせる”といった指標のようなものはあるのでしょうか?
Y もともと僕の父親がバスケットを教えていまして。校長やりながらバスケを教える、全国大会にも出るという人なんですけど。そこでのテーマっていうのが守破離(※4)なんですよ。要は教えを守るというかそのままやる時期から、ちょっと応用する時期、で離れる。それをサッカー部でも取り入れようとしてて。中学生は高校生に比べると判断能力も大人になりきれてない部分もあるから、高校に比べるとどうしてもトップダウンの要素が強くなる。そこからだんだんと離れていく。でも中学・高校に関わらず、人間として、社会人としてって部分に関わるところ以外で何かを「やれ」っていうシーンはかなり少ないですね。「どうする、どう考える?」とは言っても。
(※4)守破離

型を守って型に出て、型を破って型へ出て、型を離れて型を生む」というものだ。この「守って型に着く・破って型へ出る・離れて型を生む」の「に・へ・を」の助詞の変化に、守破離の動向が如実する

(松岡正剛の千夜千冊「藤原稜三『守破離の思想』」より引用)
-引き出しはつくっても、「どの引き出しを開けろ」とは言わない。
Y 無意識の部分ですけどね。まぁ、最低限使う道具しか与えてないから、それをどう使うかは本当に…
-子どもたちに…
Y トンカチは預けるけど、「トンカチで釘打て」とは言わない(笑)投げたら投げたで「おもろいな」って声をかける。
-でも、子どもたちはトンカチを与えられたとは思ってない。道を歩いていたらたまたまトンカチが落ちていて、拾ったあと「どう使おうかな」と。
Y それはあるかもしれないですね。ただ「今使えたんちゃう?」とかは言いますね。こっちもある意味対等やから。「今使ったら良かったんちゃうの?」って。前に兄(監督)が「“指導者”は導くとか指し示すんじゃなくて、“志”を“同じ”にする“志同者”なんだ、そういう呼び方の方が相応しいんじゃないか」って上手いこと言ってて(笑)
-上手過ぎますね(笑)
Y 僕の言葉じゃない、ていうのも余計にね。兄が見たら、こいつパクってかっこつけてやがるみたいな(笑)でも、そんな言葉が出てくるっていうのはある意味、選手との関係性を上下じゃなくて、横に見ている、そこを重視しているからこそだと思います。
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