Introduction

「Back To The Basic」というコトバがある。
「Basic」、すなわち「基本」/「原点」に立ち戻ること。
だが、そもそも「基本」とは何か。「原点」とはどこか。
あるいは、それらは伝承可能なものなのか。
ここで語られるのは「藤枝東」、「豊田」自動織機といった、日本のサッカー/産業の「原点」そのものである。
そして、話し手のコトバによれば、「信頼関係と集中して取り組む意識」を条件として、「基本」の伝承は場所を問わず「可能となる」。

このコトバは時代を超えるか。

「原点」の中に身を置いて過ごし、かつ聴き手の「父」でもある久野裕一さんに声を聴く。

Interviewee profile
久野裕一

名古屋市生まれ、名古屋市育ち。サッカー部員として藤枝東高校・同志社大学に在籍。同大学在籍時には関西選抜、日本選抜の一員として日本のサッカーに貢献した。現在は豊田自動織機の社員として各現場の改善活動に携わっている。

理想のチーム/日本サッカーの原点

-40年近く勤務してきたいまトヨタという企業にどのような印象をお持ちですか?
(久野裕一さん 以下K) どの企業も会社における企業方針はあると思います。ですが、とりわけトヨタの場合は常に社是、理念にたちもどり、いわんとするところにたちもどろうとする繰り返しが、社内の風土として強いように感じますね。また、トヨタ生産方式(※1)に象徴されるように、現場の末端まで改善意識が浸透している風土もグループの強みでしょう。こういった風土は、一夜にしてできあがるものではありません。例えば、大手企業の中には業績不振になると、必ずリストラを断行するところがあります。やむ無くだとは思いますが、その数は、何千人単位にも上る。
-業績不振による人員削減という話題は昨今、ニュースなどでも頻繁に目耳にします。
(※1)トヨタ生産方式
「異常が発生したら機械がただちに停止して、不良品を造らない」という考え方(自働化)と、 各工程が必要なものだけを、流れるように停滞なく生産する考え方(ジャスト・イン・タイム)の2つの考え方を柱として確立された生産方式。
K 一方、トヨタはとりわけ、人材育成に力をいれる。リストラはしません。一人の社員には家族を含め多くの人々の生活が関わっていて「そこは忘れてはいけない」ということばを経営者からも耳にします。そのような方針からは自ずと信頼関係が出来上がり、社員一人ひとりも自主的に物事に取り組むようになるでしょう。社内では「さらに徹底する」、「継続、たゆまぬ・・・」などの言葉がよく使われていますが、常に愚直に取り組む姿勢を重視しているのです。企業風土とは長い年月を経て形成されるものですが、日々の努力が今のトヨタをつくっているのでしょう。組織はあくまで、人で成り立っているということです。
-そのような組織のカタチはサッカーとも…
K 繋がってくると思います。サッカーもいろいろなスタイルや方針がありますが、選手、監督間に信頼関係ができ、選手が自主的に行動を起こせるようになったとき、良いチームができると思うし、そうあってほしいですね。
-たとえば、久野さんが考える「良いサッカーチーム」とはどんなチームなのでしょうか?
K 技術や体力は個々で向上させることが可能でしょう。しかし、チームプレーとなったとき、互いを思いやり、フォローできるか。そこが大切だと思います。仲間に自分の意思をきちんと伝え、常に厳しく指摘しあえる。そんな関係こそがチーム全体の向上につながると思います。戦術的にいえば、11人全員が攻守の切り替えに迅速であり、一斉に数的優位をつくったり、スペースに走りだしたり、一人二人三人と分厚い攻撃が必要であり、また、一斉にマークする相手を確認し、そのフォローも意識する。その上で、インターセプトを常に窺う。そんな攻守ができるチームが理想的ですね。さしずめ、1974年のオランダ代表(※2)のように、早いパス回しと、全員による攻守の連続。日本サッカーの基本形もここから考え直したほうが良いように思います。
-「日本サッカーの基本形」ですか。
K たとえば、先日のワールドカップで、日本代表はどういったサッカーを目指していたのでしょうか。他の国と比較すると、高さもフィジカルもスピードも優っているとは思えない。日本の得意とするところは、早いパス回しと連携プレーだと私は思います。そうした時、自ずと日本の目指すサッカースタイルが見えてくるのではないか。選手の個々の優れたところを最大限に見出し、そんな日本的なサッカースタイルを確立する方向を次期代表監督(※3)には期待したい。一貫した環境とプレースタイルができたとき、日本のサッカーはさらにレベルアップしていくんじゃないかと思います。
-オシムが目指した「日本化」(※4)、そのためには部活・ユースという既存の枠組みを超えた現場の連帯が必要になってくる。
(※2)1974年のオランダ代表

ミケルス監督とクライフたちが目指したサッカーは、一人一人のすばらしい技術を前提としながらも、すべての選手が守備と攻撃に参加するという新しい戦術だった。相手ボール時には、積極的にボールを奪いに行く。味方ボール時には、フルバックでも前線に飛び出して攻撃参加する。それは実にエキサイティングなサッカーだった。

(※3)ハビエル・アギーレ
メキシコ・メキシコシティ出身。メキシコ代表監督、アトレティコ・マドリード監督などを経て、2014年7月、日本代表監督に就任。就任会見では「イレブン全員、GKを含めて全員が守れて攻められる」チームを理想として掲げた。
(※4)オシムが目指した「日本化」

一番最初にやらなければならないことは、現在の日本代表チームを日本化させることです。日本代表が、本来持っている力を引き出すことが必要だと思います。そして初心に帰ることが大切だと思います。そうすれば日本人選手が本来持っているクオリティ、力を出してくれるんじゃないかと思います。

(イヴィチャ・オシム「日本代表監督 就任会見」より引用)
K 日本のサッカーの発展を考えるとき、やはり子供からトップチームまでの一貫したサッカー環境の整備をさらにすすめる事が、重要と考えます。イングランドやオランダのトップチームが組織するような下部組織からの方向付けですね。どのスポーツにも共通することだと思いますが、幼少期(2歳~3歳)からの指導はとても有効です。しかし有効かつ効果的であっても、身近にその環境がなければそれもかなわない。日本代表の監督はよく変わり、その度に方針も変わる。ドイツもブラジルもアルゼンチンもイタリアも、昔から基本のサッカースタイルは同じでしょう。その国の国民性や性格をあらわしてのスタイルが指導や方針の前提に置かれている。
-昨今、そのような問題を語るとき、たとえば「繋がりの脆弱化」、それをまとめる「リーダーの不在」といった議題がサッカー界のみならず、各分野で取りざたされている印象を持ちます。その点についてはどうでしょう?
K 熟成した日本社会の中では、全体を牽引するリーダーシップというものが必要とされにくいのかもしれません。また、現在は社会全体が、若者が個々にそれぞれの方向へすすみ、これまでにできたルール、仕組みの中でようやくまとまっているだけのような感じもします。会社組織にみるように、業種により細分化され、大半の業務がシステマティックに行われていることも原因の一つかもしれない。
-そのような印象は実際の現場でも感じますか?
K そうですね。会社や団体組織のなかで、真剣なコミュニケーションがとられること、議論がくりかえされることなどが40年近い会社人生のなかで少しずつ薄らいでいるように思います。たとえば、戦後、日本企業が復興していったベースの一つに、小集団による改善活動といわれるものがあった。そのような製造現場におけるグループによる改善活動が企業発展のベースにあり、それはまさに日本人の得意とするところではなかったか。サッカーもそうですが、団体組織においては、個々の能力を高めながらチームワークで戦うスタイルが日本人の肌には一番あっていると思います。一人よりも二人、二人よりも三人、そして皆が、意識や方向性を共有しあう中で局所局所で力をあわせていくことが、これからの世界に勝っていける方向ではないでしょうか。
-その「過去と現在の違い」という視点から現在の日本のサッカー、あるいはJリーグ(※6)について思うところがあれば聞かせてください。たとえば、Jリーグが開幕したのは1993年、ちょうど久野さんが社会人として14年目のキャリアを築こうとされていた頃です。
(※5)小集団による改善活動
QCサークルとも呼ばれる(Qはquality、Cはcontrol)同じ職場内で品質管理活動を自発的に小グループで行う活動のこと。職場の管理、改善を継続的に全員参加で行う日本独特の手法。
(※6)Jリーグ
1993年に10クラブで開幕された日本のプロサッカーリーグ。開幕時の理念は「日本サッカーの水準向上およびサッカーの普及促進」、「豊かなスポーツ文化の振興および国民の心身の健全な発達への寄与」、「国際社会における交流および親善への貢献」。
K 開幕当初、華々しくスタートしたJリーグのことはとても喜ばしく思いました。なぜなら、それ以前のサッカーはそんなにも脚光を浴びるものではなかったからです。日本リーグの試合などは、観客数も500人も入れば多いほうではなかったでしょうか。Jリーグのような華々しさはほとんどなく、企業の応援団程度と記憶しています。また、当時はJリーグのクラブを頂点とし、ユースなどの下部組織がある今とは異なり組織化されていない部分もたくさんありました。
-いま振り返ると、Jリーグの創設は日本のサッカーが世界を目指す上で必要なプロセスであった、と。
K ただ、こんな話をすると、今のJリーグがよくて、昔の日本リーグがよくないように聞こえますが、すべてがそうなのかと考えたとき、疑問も残ります。例えば、日本リーグの試合に臨む選手の気持ちなどは、今の選手に足りないように感じます。日本がメキシコなどのオリンピックに出場したときと、先日のワールドカップに出場したときの勝ちにこだわる気持ち、姿勢はどちらが優れていたのかという問題ですね。髪を染める、ネックレスをつける、ピアスをする。ガムを噛みながら試合をし、インタビューにも答えている。良し悪しではなく、それらすべてが欧州サッカーの真似ごとに見えてほかならない。しかし、欧州サッカーの選手からは、そうはしていても貪欲に勝ちにこだわる姿勢を感じます。やはり、私には全員ではなく一部ですが、今の日本のサッカー選手たちに違和感があります。年齢も考えも古いのかもしれませんが。
-一方で、久野さんが選手として活躍されていた当時のチームメイトの方たちは現在も日本のサッカーと深く関わり続けていらっしゃいます。この場を借りてお聞きしたいのですが、サッカーを離れてから現在まで、その方たちの活躍をどう見ていたのでしょう?
K あの検見川で一緒だった選手や遠征メンバーだった選手が活躍をしているのはとても喜ばしいことです。いつも、頑張れよ、と応援する気持ちがありました。あの頃では考えられないような華やかな舞台で、大勢の観客のなかで、まるでスターであるかのように、Jリーグが開幕し、今では、監督や解説者として、あの頃の顔がテレビに映し出されている。あいつは昔、こうこうこうだったよと子供たちに話しながら、自分が輝いていた頃を懐かしんでいるのです。
-結果として自分も弟も幼少期からサッカーと関わることになりました。
K 子供との共通点を設けていたかったんじゃないかな。話ができるし、教えることができるし、一緒にボールを蹴って遊ぶこともできるから。他のスポーツに詳しくなかったということもあるかな。孫ができても、やっぱり、サッカーです。
-そうですか(笑)最後にいま久野さんがサッカーに思うことがあれば聞かせてください。
K あの頃、藤枝東の試合を観て、1974年ワールドカップのオランダを観て、鮮烈な印象を受け、越境入学をしてまでサッカーに夢中になり、今でも欧州の試合やワールドカップが面白いと思うのは、サッカーというスポーツの奥深さかなと思います。自分もサッカーをやっていたことから、シュートやパスや局面の難しさも理解できますし。いつまでも、サッカーを愛し続け、いつか日本代表がワールドカップで優勝杯を掲げる姿を夢見ていたいですね。
久野裕一さんとクノタカヒロ・Kuno Masatsugu

久野裕一さんとクノタカヒロKuno Masatsugu
-今後、再びサッカーに関わろうという思いは?
K 関わり方もいろいろだと思いますが、これからの人生の中にあの頃一生懸命だったサッカーが入り込んだ生活は、さぞかし楽しいものになるでしょうね。
2014.08.22 往復書簡にて